イベント

アーカイブ<第3弾>新井さん(新井硝子店)

カテゴリ:アーカイブ

 昔、小倉の町には店舗と住居が一体となった木造の町屋が建ち並んでいました。そうした町の中には、商店街や、小倉の町の変化を目で見て、肌で感じながら過ごしてきた人がたくさんいます。小倉の町で初代が卸会社を法人化してから現在で89年、三代目のガラス職人として硝子店を営んできた新井さんも、そんな町の変化を見届けてきた一人です。

人々の生活に根付いた硝子店の仕事

お店を継いだ経緯は?−−−
経緯うんぬんというより、硝子店が家業ということもあって、小さな頃からお店で遊んでいたし、職人さんが子守をしてくれるような環境で育ったので、ある意味当然のことでした。また、初代や2代目のお客さんもいらっしゃったし、男の子は末っ子の自分だけで、ガラスの加工や切断という仕事は自分にしか継げないと思ったので、大学卒業後はそのまま家業を継いで3代目になりました。 

<写真:新井硝子店(京町1丁目)>

当時の新井硝子店の仕事は?———
 主な仕事は板ガラスの切断加工で、商店街や町場の方々、学校や工業などを相手にガラスの補修をしていました。当時の学校ではよく窓が割れていたんでね。そのほか、昭和40年代半ばから後半までは人形ケースの仕事もたくさんありました。というのも、昔は子どもや孫が生まれたら、きちんと人形ケースを作ってあげる習慣があったからです。桃の節句の前の2月頃から端午の節句がおわる5月頃までは、とても忙しかったです。その時期になると、毎日残業して、1日20〜30ケースの人形ケースを作っては、商店街の中をリアカーで運んでいました。そして、工場関係では、工場の硝子を入れ替えて綺麗にしてから新しい年を迎えるという習わしがあったので、12月に入ったら大晦日くらいまで、ひたすら工場の硝子の入れ替えをやっていたような気がします。
 昭和40年代の北九州では、ガラス組合に約200店舗ほど加盟していたのですが、硝子店ごとに暗黙のテリトリーみたいなものがあったし、今と違ってガラスの面積も小さくて薄かった分、数は多かったので仕事はたくさんありました。だから、1年中暇な時期はなく、仕事の量も多くて、みなさんてんてこ舞いでした。今では、木造の建物が減ってしまい、窓ガラスは面積が大きく、厚くなったので、昔ながらの硝子店の仕事は減ってきていて、加盟数も40店ほどになっています。ただ、仕事の数や環境は変わったものの、今でもガラスに代わるような素材はないと思います。

<写真:インタビューの様子>

ガラス職人ならではの特別な経験は?———
これといって特別なことはありませんが、30代、40代の頃には、仕事柄、他人の家庭に入り込む機会が多かったですね。玄関先だけのセールスマンとは違って、座敷のほうまで。そして、仕事をしていたらそのお家に半日とか1日いることになるので、その家庭の生活や、様式、環境まで自然と分かってしまいます。先代からのお付き合いだからというのもありますが。また、今ではそんな経験全くないですが、昔は別宅を持っている人もいたりして、外でやんちゃして別宅の窓を割ってしまったとときに、「新井さん、あっちの家にいって修理して、請求は僕だけまわしてね。」なんて言われることもありました。もちろん、守秘義務もあるし信用第一なので全く口外しませんでしたけど。  

地域活動を通じて次の世代に感動を繋ぐ

地域活動に関わってよかったと思うことは?−−−

  ガラス屋なので、本来なら同業者以外の人とは付き合いがないはずなのですが、小倉祇園で色々な組織や人とのご縁をいただいたことがきっかけで地域活動に関わるようになりました。そして、私自身、色々な頼まれごとも多かったのですが、基本的にはそれを断らずにやってきたこともあって、小倉祇園以外にも、小倉中央商業連合会や紫川マイタウンの会をはじめとして、地域活動の幅が広がりました。最近では、小倉ミツバチプロジェクトにも関わらせていただいています。そういったお付き合いが本業に直接的にプラスになったことはないのですが、活動を通じて素晴らしい先輩や同期、後輩に巡り会えたこと、そのご縁が続いているが財産になっています。
 やはり、家業だけだと達成感はあっても感動することはありませんが、異業種の方々と一緒になって地域活動なんかをしていると、感動するチャンスも多いし、見聞も広がります。だから、異業種の方々と知り合うことはとても良いことだと思っています。

地域活動をする上で大切なことは?−−−
もちろん色んな方々とのご縁も大切ですが、地域にとっては皆が集まれる場所というのも大切だと思います。昔はまちなかでも町内ごとにちょっとした空地や倉庫なんかがあって、何かしようとする時には、そこが地域のみんなが集まれる場所になっていました。今では、色んな事情でそういう場所が少なくなっていますが、幸い、代々商売をしながら暮らしているこの場所は絶好のロケーションです。すぐ目の前には紫川があるし、勝山公園は庭のようなものです。だからこそ、祇園の時には詰め所として解放しているし、それ以外の活動の際にも使ってもらっているのです。そういったことを含め、地域活動を通じて次の世代の人たちのために色々してあげたい、そして、僕の味わった感動というのを若い人にも味わって欲しいと思っています。

<写真:記念撮影>

取材担当:山崎望生、山並大地(KTT学生協力員)