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アーカイブ<第一弾> 〜濱田浩三さん(はまだ洋装店)〜

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①洋装店という言葉について 

Q.洋服屋さんとはまた違った「洋装店」という言葉にはどのような意味があるのでしょうか?

A.オーダーメイド、つまり注文服ということです。だから、完全に手作りで、世界に一着ということになります。

 

Q.服づくりに対するこだわりや1番心がけていることについて聞かせて下さい?

A.まず、素材から入るということです。ウール、シルク、木綿、麻などから入って、きちんと素材のブランドデザインの専属デザイナーが絵を描いて、寸法を測り、縫う人のところに行くわけです。それをもう一度着て、仮縫いをしたうえで、最後に尺縫いをします。そのため、すごく手間がかかっています。デザインの先生が今の時代になるとあまりいないため、そのデザインの先生の商品の仕入れ先は京都が多いです。いわゆる織物、染め物が全国の産地から集まるので、京都に仕入れに行くことが多いですが、西陣織なんかも段々後継者がいなくなりつつあります。染め物は手で染めるものが多いのですが、それが汚い仕事とされてしまっているようです。だから出来上がりの安い外国産が入ってくるのです。


<写真:インタビューの様子>

②お店の歴史について

Q.お店の歴史について教えてください。

A.お店が誕生したのは、明治11年の1月です。当時は、住所が企救郡小倉町大字魚町でした。それ以来、ずっとこの地で商売をしていますが、明治11年以前は、両替商でお金の監査をする金銀両替の仕事をしていました。事業内容を切り替えたのは、国の仕組みが変わり、両替商を銀行が請け負うようになったからです。戦前は呉服・小売商(着物)をメインにしていましたが、戦後は洋服を取り扱うようになりました。


<写真:戦前のはまだ洋装店>

③はまだ洋装店×小倉という街

Q.開業当初から現在まで、同じ場所で商売を続けてこられた理由や秘訣を聞かせてください。

A.やはり、先祖がやってた場所だということが大きくて、ここしかない、オンリーワンであるという感じです。昔は同業者が周辺にたくさんいて、魚町はファッションの街と呼ばれていましたが、今では原価が色々とかかるようになったことや、既製品を買う人が増えたことなどが理由で皆いなくなってしまいました。うちでも既製品を売っていますが、その人の体系にあうように色々と手直しをする部分がかなりあるので、悔しいくらいオーダーと変わらないような感じになってしまいます。

  

Q.小倉の中心市街地でずっと商売されてきて感じる小倉のまちの変化についてお聞かせください。

A.当時は4大工業地帯の1つということで、賑わいがすごかったです。小倉はそうでもないですが、八幡なんかは完璧に企業城下町でした。

 

Q.アーケードができた当時の賑わっていた昔と今を比べると、濱田さんから見ての賑わいの部分で差のようなものは感じますか?

A.アーケードができた当時は、人が多すぎて信号を1回では渡りきれませんでした。八幡製鉄では12月に賞与がでていたのですが、昔はクレジットカードとかがなかったので、おつりを準備するのが大変でした。当時のお客さん名簿を見ると、長門や宇佐の手前あたりからのお客さんもいたので、商圏といしては結構広かったです。でも、曽根にモールができたあたりからは、人の流れが変わったような気がします。よその商店街に言われていたのは、人通りは結構多いんだらもっと頑張りなさいって、いつもはっぱをかけられていました。

 

Q.当時の活気を取り戻すためには何が必要だと思いますか?

A.やはり、先輩方が作っていったその心意気を忘れずに、次の世代に渡していかないといけないと思います。今でこそ中心市街地活性化法などで、お上からお金が下りるようになりましたが、当時は補助金も何もない状況でした。士農工商でいうと商が1番後ろであったし、特に北九州市は工の面が強かった。その中で、全部自費で補助金なんか一切頂かず、冊子やアーケードもつくっていました。当時スーパーもなかったし、買い物は商店街でするから、みなさん金銭的な余裕はあったと思います。

 

Q.これからの小倉について、次世代に望むことはありますか?

A.まち(商店街)には、百貨店やスーパーにはない良さがあります。ただ、物を売り買いするだけではなく、今はなくなってきているお客さんとの絆を大切にしていきたいです。お客さんと話し、お客さんを大事にして、百貨店やスーパーにはない良さを出していくことが重要だと思います。やはり、値段とか量ではかなわないところもありますが、名前で商いしている商店街主が専門性を生かし、売り場のプロとして商売している点は強みです。まだ、魚町はお役所が近いし、医療センターもあります。そして、旦過の市場とつながっているなど、街として恵まれているほうだと思います。 


<写真:商店街の皆さんで手作りした冊子(左)、家訓(右)>